病魔は手を緩めないのか。
ででーんっ!!
また、お前か。
はい。久々不調です。
ここ最近、めまい、ふらつきが気になる程度に酷くなっていて、ヤバいな・・・。と思っていました。(あ。後遺症として残っていたのですが、ずっと気にならない程度に治っていたのです)
いよいよ、本日耐えかねて、静岡で一生懸命ネットとにらめっこし、良さそうな耳鼻科を探し、行ってみました。
めまいの検査って、カメラ付きのゴーグルをさせられたり、虫眼鏡付きのゴーグルを装着し、先生が眼振があるかどうかを見るのですが。。。
装着するなり、
『あー。揺れてるねー』
って。
過去のブログに書いてますが、私が【左突発性難聴】での入院中に患った【良性発作性頭位めまい症】はある一方方向に頭を傾けたときや、振った時に眼振が起きるのですが、さすがに、安静時に眼振が起きているなんてね。。。
とりあえず、まずは薬からです。
さすがに、安静時に眼振があること
2種の薬に久しぶりに出会った時には
凹みましたね。涙出るレベル(笑)
でも、散々このブログでも書きましたが、地団駄踏んでもどうにもならん病気なんで、前向きに、考えすぎず、明るくいきます(笑)
今日こうやって、再発して唯一の救いだな、と思ったのは耳鼻科の先生がよさそうな先生だったことだ!
【備忘】20191117のFacebookの投稿
【1年経ったで】
たまにはダラダラと書こう。
1年前の今日、左突発性難聴を患った。なんだか、1年経ったことが、信じられない気がする。
発症当初は患った感覚もなかったし、どうせ治るやろ♪なんて軽々しく考えていた。しかし、次第に治らないことが現実味を帯びてきたときは恐怖とネガティヴ感情に押し殺されそうなしんどさにさいなまれたよね。うんうん。
原因不明の難病ってくくりの病気なんで、退院してからは、しんどすぎてもっと気を遣ってほしいとかいろんな感情で脳内渋滞していたのを覚えている。
でも、気が付けば、耳が聞こえてないことを忘れてしまうくらいにまで『回復?』ではないが、それくらい通常の生活を取り戻している。
最近、静岡に来てからはとてもいい上司で、二人で歩くときも、私が何の気なしに上司の右側を歩いていると、逆側に来てくれる。(左が聞こえないからね)座る場所とかも私以上に気を使ってくれ本当に感謝でしかない。むしろ私が気を遣わなさ過ぎて恐縮なくらい。。。
そんな感じで、周囲に助けられながら、無事、1年経過した。
なによりも、そんないい上司に出会え、そんな上司のいる会社に転職できたのは本当にこの一年の尺度で見たときには大きな財産になったかな?!って思います。本当に無事転職をできて、いい仲間に出会えたのは回復してはないが、元気になる一助になった。
それとー。久々に出会えた、友だちや先輩のエネルギーにも助けられましたねー!感謝!
耳鼻科で詳細な聴力検査をしていないから、わからないが、健康診断レベルでは、幸いにも聴力の悪化はないし、一先ず丸一年過ごすことが出来た。
こう書きながらも、何大げさに書いてるねん!自分に喝を入れたくなる反面、よく一年頑張ったな!って自分に褒めてあげたい一面もある。
もはや、なった人にしかわからん感情かと思う。
発症から2,3日後に即入院をし、病院で誕生日を迎えた一年前でした。
今年は平和に三十路を迎えることが出来そうです。
さて、難聴2年目も笑顔で頑張りまっせ!!!
世話焼きな大阪人
よく、関西人って怖い!って言われますが、そんなことなく、私はケガの間、多くの『大阪のおばちゃん&おっちゃん』に助けられました。そんなエピソードの備忘録
【モスバーガーのシニア採用はすごいぞ!の件】
先日、会社の研修でモスバーガーのシニア採用の件が話題に挙がって、モスバーガーに行きたいなーと思い、病院近くのモスバーガーに松葉杖をつきながら行きました。
入ったモスバーガーは店内広く、何ならレジまでは遠く、謎の坂、スロープもあり、心の中で『ミスった・・・。』と
とりあえず、杖をつくのにしんどかったので、入り口近くの椅子に腰かけた。すると席提供をしていた、50代くらいの男性スタッフが『お席そちらでいいですか?』とすかさず声をかけてくれ、次の瞬間!と言わんばかりにすぐにレジ方面から大きなメニュー表を持ってきてくれました。『お客様こちらでご注文お伺いします!』とそこから注文を伝え、レジに打ち込み金額確認して、お会計まで座席ですべて完結させてくれました。
当たり前のことかもしれませんが、松葉杖をついている若者をみて、すべて席で完結をさせようとサービスをしてくれたスタッフには頭があがりません。しかも、職業柄その人を最初に声かけてくれた時から観察していましたが、一度も上司に確認取る姿とかがなく、すべてを自己の判断でやっているところが素敵やな!と思いました。結構、判断や許可を求めたりするんですよね。こういう時に。でもそのスタッフはすべて自己の判断でやっているところが素敵でした!テーブルサービスでもないのにこういったサービスは初めてでした。見たのも、受けたのも。仕事で松葉づえで東京出張などもしましたが、どこのお店も、大概、列に並んで、状況を察して『お席まで運びますね!』でした。東京駅でどうしてもぱっと食べられるところが、ベーカリーカフェしか見つからず松葉づえつきながら、パンを持つのは大変でしたが、それが当たり前!の半面、きついなー。助けてほしいなー。なんか思っていたので、このモスバーガーの席完結サービスは感動モノでした!
【モスバーガーはお客さんまですごいのか?】
これもまた、モスバーガーの話ですが、別日にまた、松葉杖をついてモスバーガーに行きました。帰り際、松葉杖つきながら、トレーをもち無理やり、返却口まで持っていこうとすると横に座っていた大阪のおばあちゃんが
『おにいちゃん。持っていくから置いとき!』って私が持とうとしたトレーが知らん間におばあちゃんの席にあるじゃないですか(笑)
明らかなおばあちゃんでした。しかし、人の親切はありがたく、御礼をいって受け取らせていただきました!
【優先座席って・・・】
これは若干愚痴交じりな話になるので、気分のいい話ではないですが。
優先座席って、私は誰でも座ればいいと思うんですよね。むしろ、優先座席の前で座席空いているのに立っている方が明らかに邪魔なのでね。
でも、松葉杖ついている人が目の前に現れたら、席譲れよ!と口に出して文句を言いたくなることがしばしば。あまり、目の前にいるのも嫌らしくて嫌だったので、大抵ドア付近のもたれて、体を安定させることが出来る場所で立っていたのですが、その時に、声をかけてくれるのって、スマホを触っている若者ではなくて、関西のおっちゃん、おばちゃんでした。『おにいちゃん!座りや!』って。申し訳ない気もしながらも、松葉づえで立つって結構怖いし、危ないので遠慮しながらも席を頂きました。
これは考えさせられましたね!!
【階段歩ていました】
今日は地元の駅で階段を歩きました。
ギプスもはずれたし、リハビリがてらに歩いてみるか!と。
乳幼児並みに、一段一段、一歩一歩、松葉杖つきながら歩いていると横から・・・。
これもまた、大阪のおばちゃん
おばちゃん『あっちに、エレベーターあったのに・・・』
わたし『今日ね、ギプスはずれたから、リハビリがてらに久々階段歩いてるんです!』
おばちゃん『でもさー。無理しちゃあかんよ。大切な脚やからね』
わたし『ありがとうございます!』
なんて、言いながら、やさしい声をかけてくれました。
声を大にして言おう。
大阪は優しい街!
エレベーターもたくさん乗りましたが、おばちゃん達にたくさん助けてもらいましたよ!どっかで、ちゃんと恩返しせんとなー!!
2019年も気が抜けない-Part2
さてさて、2019年も折り返しでございます。
そんなさなか題名は良くない感じですが、色々やらかしてます。
前回の投稿では被害者として警察のお世話になり、記憶の中では初めてパトカーに乗った話を書きました。
それから6月の末にまた、事件が起きました。相次ぐ労災。
まずは洗い場で、割れているグラスに気が付かず、そのままスポンジでこすった時に指を負傷。
5分間直接圧迫でも血が止まらず、そのあと何しても血が止まらないので、ラップを指に巻き付け夜間救急に駆け込みました。幸い、傷は深くなかったので、縫うことはなかったのですが、大変でした。
それがひと段落してから、今度は店の腰の高さのスイング扉の下の隙間でかかとを挟み、アキレス腱の接着部損傷と言われました。大絶賛、ギプス&松葉杖の生活をしています。
昨年の暮れの突発性難聴に始まり、危険なことが続きまくっています。
かと言って悪いことばかりではなく、いい会社にも出会えたり、新たな出会いにもワクワクをしております♪
しかしながら、7月から転勤で静岡に行く予定でしたが、今回のケガで静岡デビューも延期に。もうしばらく大阪にいます
まさに出足をくじく。ってやつですね。
こんな私ですが、元気よくやっとります!
2019年も気が抜けない
こんばんわ。
昨日パトカーに乗りました。
もちろん、被害者としてです。
加害者ではないです。
幸いにもというか奇跡的に怪我無く無事です。
生きてます!
ただ、事件扱いなんで、こういう所に内容書くのはあんまりよくないんでしょうね。。。
なんせ、なかなか災難に遭いました。2019年は良いことばかり♪なんて、気を抜いてましたが、やはり、まだまだ気が抜けなさそう。。。というのが素直な気持ち。
昨日は被害者としての供述調書?とかいうのを取るのに捜査協力で警察署に行ったんですが、4時間近く拘束されましたよ(笑)帰ったのAM4:30
どっちが被害者かわからーーーーーん!
内容聞きたければ、個別に連絡ください(笑)
そんなさなか、今日のお昼こんなメールが来ました。
先日、あともう少しで突発性難聴に罹患してから半年!!なんか言ってたのにスッカリ忘れていました。
17日は一日中仕事してました。
ちょうど、この5日くらいして一息ついたくらいから、
暇が耐えられないのと、記録に残そう!と思ってブログを始めたんだったかな?
もう半年。
意図的にいろんな物事を変えてきました。
良いのか悪いのかはわかりませんが、毎日ワクワクするように頑張っとります!
生きてます!!
久しぶり耳鼻科に行った話
少し語弊がありますが(笑)
この時期は常に耳鼻科通いです。
3、4日前にアレルギーの薬がなくなり、耳鼻科に行かなければ!と思っているうちに、鼻水がズルズルと。
今回は私の突発性難聴のカルテを持っている、西宮の耳鼻科に遠出してきました。
3月の中旬に一度検査をした時に
『右耳の聴力が若干落ちてるねー。』
私自身も結果を見たらわかる感じ。
ゾクッとしましたね。
『薬なくなったらまたおいで!経過観察!』
と言われてからの昨日。薬なくなるの遅くね?と突っ込まれそうですが、薬を飲み忘れるくらい、私の日常の中に突発性難聴が溶け込み、難聴が特別なものではなく、普通のものになっていました。
なので、一ヶ月の薬を忘れまくって、一ヶ月半くらいかけて飲んでました。
そんなことどうでも良いんですけど。
昨日、耳鼻科に行って聴力検査したら、
『あー。変わらんね。これやったら、一旦大丈夫!』
と一応のお墨付きを頂き、一安心です。
一旦は治療諸々終了し、いかにこれ以上悪くしないか、生活に不自由ないか?という所に持っていけるか?ですね。
大した治療法もなく、注意もないので、どうしようもありませんが。
(一説にはライブとか大音量ダメ!とか言うけど、確固たるエビデンスはないようですし。本当に突発性難聴に関しては医者や学者が好き勝手言っている、厄介な病気です。)
ここからは私の心の問題もあるし、慣れもあると思います。
心も問題だけでいえばこの半年は大きく成長しました。
最初の頃のブログ見てたら、うつ病患者っぽいですもんね。
それもこれも周りの人の支えのお陰で乗り越えることが出来ました。
でもこういう経験って本当になった人しかわからんなー!って思います。
これまで私は大病に関しては傍観者だったので、そんなマイナスに捉えなくてもとか、思っていましたが、いざ、自分自身が当事者になるとやはり考え方は変わるもんですね!!
これも大きな学びです。
映画を鑑賞しました
みなさん
こんばんわ。
昨日は映画を観てきました!!
突発性難聴後、初の映画を観てきました。
行く前はハウリングするかな?
とか
耳痛くなるかな?
とか色々不安だらけですが普通に楽しめました。
映画館ならではでの四方八方にあるスピーカからの身体に『どんっ』って当たる音の感じもわかりました。
ただ、もう感覚を忘れてしまいましたが、左から右に移動する、ステレオならではの音感や前から後ろに流れる音の感覚はさすがに両耳聴こえていないので、感じることが出来ませんでした。
後は、大音量でずっと聞き続けていたので、耳鳴りがそのあととってもうるさかったですね。もはや、毎日聞き続けているので、今日がうるさいかどうかわからないくらい麻痺してますが(笑)
ちょっとずついろんなことにチャレンジです!